紅型(びんがた)の歴史はチャンプルー(ごちゃまぜ)

紅型(びんがた)は沖縄の染物で、鮮明な色彩、大胆な配色、素朴な図柄が特徴です。

この美しい染め物は、琉球王国時代に発展しました。琉球王国は日本本土や中国、東南アジア諸国と交易を行っており、それによりもたらされた技術やデザインと琉球古来の染色技法を合わせて誕生したのが「琉球びんがた」になります。

当時は王族や士族など上流階級のみが着用できる希少なものであり、王府は染屋を首里城の周りにおいて庇護していました。

紅型(びんがた)2度の存亡の危機

琉球王府の庇護のもと発展した紅型(びんがた)ですが、2度の危機に見舞われます。

1度目は王政が解体され、琉球から沖縄になった19世紀後半です。パトロンだった王族からの庇護を失った染屋は廃業し、職人の多くは首里を離れることを余儀なくされました。

2度目は第二次世界大戦です。沖縄戦により型紙や道具が焼けつくされてしまい、紅型(びんがた)の伝統は風前の灯火となってしまったのです。

よみがえる紅型(びんがた)

紅型(びんがた)の復興は文字通りゼロからのスタートとなりました。戦後の物不足の中、拾った日本軍の地図を型紙に、割れたレコード盤をヘラに、口紅を顔料にと再出発が始まったのです。この時代、高価な着物の需要などあるはずもなく、米軍向けにポストカードやネクタイ、スカートなどの新製品が次々と生み出されました。

こうして伝統文化をうまく時代のニーズにのせる事で紅型(びんがた)の復活を計ったのです。こうして先人たちから受け継がれ、志ある沖縄の人々の手によって、ひたすらに守り続けられてきたのが「琉球びんがた」なのです。